ものとしての服と写真
写真家 蓮井幹生
スマートフォンによって、人間はものを失いつつあります。ものを失った人間というのは、理想論的には美しい人間に還ることでもあります。断捨離とは、より自分にとって大切なものを選んで、できるだけ自分の身近に、親しい状態で置いておくこと。ものを大事にしよう、ものを愛そうという意味だと思うんです。
写真も本来はものです。視覚コミュニケーションの方法としては、スマホに勝るものはありません。撮ってすぐに見られて、誰かに共有できて。でも僕にとって、それは写真ではない。写真は、一枚の紙になって初めて写真になる。データではなく、プリントとして仕上がって初めて写真として成立すると思っています。クリエイティブにおいて、一番大事なのはマテリアルです。それは、写真も服も同じです。
いまオンラインで洋服を買う場合、画面上で形を見て、色やサイズを選んで、値段を見て発注して、それが届くというのが一般的ですよね。質感も、暖かさも柔らかさもわからないまま購入して、身につけています。愛着のないものを身につけることにもなるでしょう。少ないものしか必要なくなっているはずなのに、どんどんものに埋もれてしまっています。人々は、もののマテリアルを忘れています。
高橋さんと知り合って、感じていることが同じだと思いました。CFCLの洋服はペットボトルのリサイクル素材を使っていたり、無駄のない製法であったり、もちろんそういうテクニカルな話もあります。でも生まれたマテリアルが嫌いだったら、高橋さんは使わないと思うんです。最終的には、彼がこの服の存在を許せるかどうかで作っているように見えます。そんな人の服をスマートフォンで撮ったら失礼だな、という気持ちがありました。そこで11×14という、白黒でしか撮れないしフィルムも数百枚しかない、昔のでっかいカメラで撮ったらどうだろうと高橋さんに提案してみました。提案したものの、服の写真なのに色もつかないし、モデルに着せるわけでもない。デジタルに比べて、お金もかかるし、時間もかかる。立ち上げたばかりのファッションブランドのためになるのかな?負担じゃないかな?なんて、おせっかいな気持ちもありました。だから念のためデジタルでも撮っておいたのですが、両方のカメラのプリントしたものを見せたら「やっぱりこれですよ」と意外なことに、11×14の方を彼は選んだんです。
このシリーズで一番気をつけているのは、ファッション写真にも古典的なポートレートにもならないようにすることです。モデルになってくださった方々はどの方もその世界で一流を極めておられる方々ですから、CFCLの服との間に生まれる佇まいのハーモニーをシンプルでミニマムなモダンポートレートとして成立させられるかという点です。服と人の一体感が感じられる瞬間を撮影の短い時間のなかでどう作れるか。とてもやりがいのある撮影です。
ファッションは、人間にとって一番大切なものの一つ。人間はずっと洋服を着ている。生まれたときからタオルに包まれて、死んでも死装束を着せられて裸にしてもらえない。衣食住と言うけれど、ないと生きていけないんです。どんなに断捨離と言ったって、宇宙空間で裸で生きていくのは無理ですから。